卒業生の声

花ひらく清真の人

人生工房・清真で武器を磨いた人々が、それぞれの個性と持ち味で未来に挑みます。

人生を戦って行ける武器と仲間ができる学校

東北大学・大学院 教授

中村 智樹さん清真学園4期 卒業生

東京大学 理学部 地学科 卒業

宇宙に対する関心はいつから?

幼稚園生のときです。星の写真とか惑星の写真を見ると気持ちよくなって、他のことをすると気持ちがまた下がって。そこがきっかけですね。天体望遠鏡を両親に買ってもらい、星をしばらく熱中して見ていました。中学時代は野球に没頭していましたが、高校生になってから地学部に入部し、月に1回下津海岸に両親に車で天体望遠鏡を運んでもらって朝まで星や惑星を見ていました。重力で集まった何万個もの星(球状星団)をターゲットに季節ごとに変わる星団や星雲を見て楽しんでいました。よく警察の方が見回りに来たりしていましたね。笑

どんな大学生活でしたか?

東京大学入学後、目標である星関係の興味を深める一方で、高校時代からやっていた音楽バンドの活動を、高校時代のメンバーで、慶応大のサークルに加入してやっていました。また惑星科学の第一人者の教授がいる研究室に入り、太陽系の始原物質の研究を始めました。修士課程を修了し、博士課程3年の時に九州大の助手に採用されました。その後、米国NASAやドイツマックスプランク研究所などに留学しながら、太陽系の初期進化過程の研究をすすめました。

現在の職業、今後の職業について

東北大学では理学部の地球惑星科学科で「初期太陽系進化学」という研究室を主宰しています。研究室には大学4年生と大学院生合わせて20名ほどが在籍して、毎日学生と楽しく研究を進めています。現在集中しているのは小惑星探査機“はやぶさ2”が地球に持ち帰ってくる小惑星リュウグウのサンプルの分析準備です。はやぶさ2の前には、1997年頃(打ち上げ前)から小惑星探査機“(初号機)はやぶさ”の計画に携わりました。はやぶさは5年をかけて宇宙から帰還したのですが、その2年前から宇宙科学研究所のみなさんと一緒にカプセルをあける施設を設計して作り、カプセルの開封とサンプルを取り出すリハーサルをしました。はやぶさ初号機のカプセルがオーストラリアに帰還し、その後、宇宙研でリハ―サル通り私がカプセルを開封しました。カプセルから最初の小惑星の塵を発見した時は大変うれしかったです。その後多数の塵を解析して、小惑星の形成進化のプロセスを解明しました。

後輩・今後清真学園に入学する方へメッセージ

清真学園は先生達が素晴らしく、カリキュラムや施設も充実した学校で、人生を戦って行ける武器と仲間ができる学校だと思います。自信を持って推薦したいと思います。

『将来こうなりたい』というビジョンを持ち続ける

小説家

額賀 澪さん清真学園29期 卒業生

日本大学 芸術学部 文芸学科 卒業

清真学園に入学した動機は?

中学生だった当時、すでに大学に行きたいなって思っていました。当時鹿行地区(県東地区)に住んでいたのですが、大学進学という意味で一番近道になるのって清真学園だなぁって思って、私も親も担任の先生も、同じように考えていて、じゃあ清真学園にしようって受験しました。私のときはもう29期ということもあって、長く歴史のある学校だったので、、、。

大学進学について

TD先生が理系か文系かを決める分岐点は化学だ!mol(モル)が出来るか出来ないかで、理系か文系かは概ね決まる!って言っていたのですが、私はさっぱり分からなかったんです。それを受けて『私って文系なんだ、文系としてこれから生きていこう』って思いました。そして進学に悩んでるときにTN先生に「額賀がやりたいことなら迷わず進むべきじゃないか?」って言われて、そこから日大の芸術学部の受験・入学って一直線でした。またKT先生の蛍光ペンスパルタ指導がとても身になりました。

自身の小説について

デビュー作『屋上のウインドノーツ』には私立の中高一貫校の中学に通っていた主人公が、高校から県立高校に入学したという内容がありますが、その私立校のモデルになっているのが『清真学園』なんです。鹿行地区を舞台にした小説なんですけど、グラウンドにある清真の塔を登場させたり、母校なので凄く舞台にしやすくて、“この塔がどんな役割を果たすのかな~”なんてことも考えながら楽しくデビュー作は書きました。読書感想文コンクールの課題図書にも選んでいただいた『タスキメシ』には、清真学園に実在するTN先生やTN先生が作っていた畑も出てきました。理科棟やそこからグラウンドが見えるとこも、清真学園の校舎をイメージして書いていたので、清真学園は私の小説の中で凄く活躍してくれています。また『死ぬまで作家業をやりたい』と思い、私が本を売るためのノウハウを色んな人に聞いていくことを目的として『拝啓、本が売れません』という本も書きました。賛否両論ありますが、『拝啓、本が売れません』を出して本当によかったと思っています。

後輩・今後清真学園に入学する方へメッセージ

私自身もそうでしたけど、目標や野望を持った人にとって清真学園はとてもいい環境だと思います。在校中はそう感じないかもしれませんが、卒業した後、間違いなくそう思えます。私以外にも、そうだったと思うOB・OGは沢山いると思います。在校生もこれから入学する生徒も『将来こうなりたい』というビジョンを持ち続けること、無いなら無いで考え続けることが大事かなと思います。

最大限の努力をすれば、後悔は残らない。
部活動での挫折が教えてくれたこと。

大阪地方裁判所 判事

西野 吾一さん清真学園8期 卒業生

東京大学法学部卒業

裁判官という職業について

現在、刑事裁判を担当する裁判官として大阪地方裁判所に勤務しています。裁判官は被告人が有罪かどうかを判断する仕事です。小学生の頃からこの仕事への憧れがあり、早くから将来の選択肢のひとつとして考えていました。公害訴訟など世の中の注目を集める裁判が続くなか、ニュースを見たり、新聞を読んだりするのが好きな子供だったことが影響していると思います。
裁判官の仕事は、弁護士、検事と比べて中立的な立場であること、独立性が高いことが特徴です。たとえば弁護士は依頼人の利益が第一。検事は組織の一員としての役割が強く、指揮系統も明確です。その点、裁判官は一人で担当する裁判であれば法律と証拠に基づいて自分一人で考えて決定します。三人の裁判官が担当する裁判でも三人の話し合いによって結論を下すという高い独立性があります。決定を上司に承認してもらう必要もありませんし、誰かの利益を優先するということもありません。独立性と中立性がこの仕事の魅力であり、同時に難しさでもあります。
自分なりに考えて納得して決めることができればやりがいになりますし、その分大きな責任も感じます。検察官や弁護人の意見をよく聞いて、複眼的かつ柔軟に考え、独善的になってしまわないよう注意しています。これからも裁判官として研鑽を積んでいきたいと考えています。
2009年にスタートした裁判員制度は、それまで見えないところで決められているというイメージの強かった裁判に、一般の人の視点を取り入れ、司法と国民の距離を縮めることを目的としたものです。長い目で見れば、裁判員制度は始まったばかり。私たちはいわばパイオニアですから、いろいろな課題に直面していることも事実です。さまざまな研修や意見交換などを行い、より意義あるものとして社会に定着するよう貢献できたらと考えています。

学生時代の思い出

学生時代の思い出は、なんといっても部活動。中学一年から高一の夏まで卓球部に所属し、部長を務めたこともあります。中三の最後の試合はいまも忘れることができません。シード選手として参加した個人戦は県大会出場が目標だったのですが、フルセットのデュースで負けてしまったのです。自分にとっては大きな挫折でした。いまだに悔しさがこみ上げてくることがあります。しかしそのとき初めて、自分は本当の努力をしていたのか、漫然と練習していただけじゃないか、という反省が生まれました。最大限の努力をしないと悔いが残ることをこの経験から学んだのです。そして、この学びを大学受験と司法試験の勉強に生かすことができました。
本格的に受験勉強を始める高一の冬まで机に向かう習慣がなかったので、初めは一日二時間と決め、徐々に勉強時間を伸ばしていきました。いきなり何時間もぶっ続けで、というのではなく、できる範囲の最大限を少しずつ増やしていく。これは勉強に限らず、物事に継続的に取り組むコツだと思います。
中高生の皆さんには広い世界に興味を持って、勉強も部活も一生懸命に取り組んで欲しいと思います。やがてすべてが将来につながっていたことに気づくでしょう。上手に気分転換を取り入れてメリハリをつけ、継続第一でがんばってください。

NHK“チコちゃんに叱られる!”にも出演!

東京慈恵会医科大学 熱帯医学講座 助教

西迫 咲乃さん(旧姓 高柳)清真学園23期 卒業生

東北大学理学部卒業

清真学園に入学したきっかけは?

広い世界を見据えて将来を考えて欲しいと、母親に受験を薦められました。きっかけは母親でしたが、実際に清真学園に入学すると、様々な進学先に合わせた授業・カリキュラムがありますし、のびのびとした校風が私にはとても合っていたと思います。

在学時に、熱中・チャレンジしていたことは?

チャレンジというほどでもないですが、図書館で誰も借りていない本を探して読むことに熱中していました。元々、読書は趣味の一つでしたが、自分だけが知っている物語を見つけたくて頻繁に図書館に通っていた思い出があります。

現在はどんな仕事をされていますか?

現在は、日本でよく見られるヒトスジシマカについて研究しています。
この蚊は、本来は東南アジアの原産種なのですが、卵で越冬する能力を獲得したことで日本を始めアメリカやヨーロッパにまで生息域を拡大しています。ヒトスジシマカは、デング熱やジカ熱などの感染症を媒介するため、分布拡大が大きな問題となっています。そこで、ヒトスジシマカがどのように越冬卵を形成するのか、その分子メカニズムを明らかにし、越冬を阻止する方法の開発を目標に研究を進めています。

NHK「チコちゃんに叱られる!」出演について

これは全くの棚ぼたです。元々は現在所属している東京慈恵会医科大学熱帯医学講座の嘉糠洋陸教授へ取材の申し込みがありました。しかし、嘉糠教授は取材日にアフリカ出張の予定が入っていたので、教授から「代わりに出てみないか」とお話をいただきました。私は研究のためにかの大群に自身の血を吸わせており、教授から“そのシーンも撮ってもらったら?”と提案がありました。撮影してみたところ番組スタッフの方々に興味を持っていただき、放送に使用していただきました。

清真の後輩に向けてメッセージ!

清真学園では先生方がしっかりサポートしてくれますので、探究心をもって様々なことにチャレンジしてください!将来の進路や就職先を考える時もその経験が大事になると思います。

ゼミ活動が今をつくり、未来を考えさせてくれた。

筑波大学大学院博士後期課程3年

藤原 広太さん清真学園33期 卒業生

東北大学理学部卒業

進路を考えるきっかけはありましたか?

ゼミ活動の一環として、大学の研究室にお邪魔してお話を伺う機会は何度かあり、その経験がきっかけで研究者という職業を強く意識するようになりました。

在学時に、熱中・チャレンジしていたことは?

在学時には天文部での活動に熱中し、学校の天文ドームにある巨大な望遠鏡を使って星雲や彗星、惑星を観測していました。また、ゼミ活動では、成果発表会などで研究成果を公表することにチャレンジしていました。

「鳥人間コンテスト」について教えてください

鳥人間コンテストのタイムトライアル部門に二度出場しました。
鳥人間のチームでは設計主任として活動し、パイロットが少ないパワーで高速で飛行できるよう、翼の性能向上などに取り組み、執行代として出場した2015年の鳥人間コンテストで準優勝を達成しました。自分が設計したものが、目の前で人を乗せて空を飛ぶのを見ることができるのが何よりの魅力です。加えて、活動を通じて飛行機や物作りが好きな人達とたくさん巡り会えたことが、私自身にとって大きな財産となっています。

大学で受賞した賞は?どんな研究をしたの?

大学では論文投稿や学会での表彰実績などが認められ、筑波大学の博士前期過程を卒業する際に優秀修士論文賞と専攻長賞を頂きました。現在は、原子力発電所で重大事故が起きた際の安全対策に関する研究を行なっています。放射性物質の粒子が水や空気中で輸送されるメカニズムを解明することで、安全解析の不確かさを低減することを目指しています。

将来の進路・夢は?

この先も様々な研究課題に挑戦し、実績を積み上げていくことで、研究者としてのキャリアを築いていきたいと考えています。今の夢は、研究で得られた知識を、飛行機やロケットなど、私自身の好きなものに展開していくことです。